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解    説

■判  決: 大阪地裁平成19年11月8日判決

●商  品: 仕組債(為替連動債)
●業  者: 野村證券
●違法要素: 無断売買
●認容金額: 2600万円(預託金返還請求)、260万円(弁護士費用分の損害賠償請求)
●過失相殺: なし
●掲 載 誌: セレクト30・323頁
●審級関係: 大阪高裁平成20年3月28日判決で維持、確定


 本件の投資家は本件債券の勧誘当時67歳の中国出身の主婦であり、外貨預金として運用していた資金で外債を購入するため被告証券会社に口座を開設し、平成15年10月に約100万米ドルにて初めての取引(フォード債購入)を行っていた。その後、同年12月に担当社員の勧誘でこのフォード債を売却することとなり、併せて、私募の本件債券を執拗に勧誘されたが、発行日が翌年1月であることなどからそれまでに検討すればよいと考えて、買付を承諾していなかった。そして、投資家は発行日に娘とともに被告証券会社を訪れ、娘が担当社員から説明を聞いた結果、本件債券を購入しないこととしたが、既に上記勧誘後に買付約定が行われたこととなってしまっており、100万米ドルが本件債券の代金に充てられてしまった。その後、投資家は抗議を繰り返し、証券業協会へのあっせん申立や証券取引等監視委員会への相談等を行ったが解決に至らず、やむなく本件債券を売却して売却代金を回収した上で、購入額との差額を日本円に換算した金額について、預託金返還請求等の訴訟を提起した。
 判決は、まず、本件債券の買付注文について、これを裏付ける客観的資料が何ら存在しないことを指摘し、証券会社側からの、証券取引においては注文書等がないことは何ら不自然ではないとの反論に対しては、トラブルが生じた後に行われた本件債券の売却の際には注文書が徴求されていたことを指摘した上で、私募で高額である上に償還期限が長く流通性も乏しい本件債券を日常的な証券取引と同一に論じるのは適当ではなく、担当社員は勧誘時に投資家の自宅を何度も訪れているから書面を徴する時間的余裕は十分あり、日本語の理解能力に疑問の余地がある投資家との意思確認を確実に行うためには書面による意思確認を行うべきであったとした。また、判決は、双方の証言、供述の内容を子細に検討した上で、本件債券が早期償還条件が付されているとはいえ償還期限が10年と長く、私募債であるため流通性に乏しいことなど、本件債券の特性を投資家が十分理解していたならば購入意思を有していたか疑問が残り、担当社員が十分な説明を行ったとも認められないとして、むしろ投資家は発行日まで購入の是非を検討する時間があると理解していたことが窺えるとし、さらに当該発行日以後、投資家が一貫して買付を否認していること、投資家には早期に本件債券を買い付ける動機はなかったが、担当社員には、本件債券の募集枠の中にこの投資家をエントリーしてしまっていたことや社内の申込期限との関係から、是が非でも社内期限までに買付を成約させたいという動機があったと考える余地もあることなどから、投資家の供述は大筋において信用できるとし、これに反する担当社員らの証言は信用できないとして、本件債券の買付は投資家の意思に基づかずに行われたと認定した。以上により、判決は、預託金返還請求と不法行為に基づく弁護士費用相当額の損害賠償請求を認めた。
 なお、判決は、担当社員が投資家の理解不足から来る曖昧な発言を自己に都合よく解釈して買付の承諾を得たと考えた余地もないではないとしつつ、担当社員は投資家が話す日本語が流暢でないことは分かっていたのだから、注文書等による十分意思確認を行うべきであったのにこれを怠った点で不法行為が成立することに変わりはないと判示している。また、判決は、投資家が本件債券を売却して損失を発生させたことをもって、その損失は自己責任の範囲であるとする証券会社の主張に対し、そもそも本件債券買付の効果は投資家に及んでおらず、投資家は売却の意思表示を行う必要もなかったもので、ただ投資家は預託金の返還を求めるために、証券会社の内部処理の必要性から証券会社が求める売却手続を行ったに過ぎないから、これを理由に投資家の請求額を減殺することはできないとの判示を行っている。さらに、判決は、証券会社側が、投資家からの業務日誌等の内部資料の提出要請に応じなかったことなどの訴訟態度をも指摘し、これを証券会社に不利な事情として斟酌している。
 本件は、何ら書類の徴求を行うこともなく特殊な私募の高額の仕組債が高齢者に高額で売り付けられようとした事案であるところ、本判決は、「証券取引だから注文書等は不要」といった証券業界の誤った常識を否定し、顧客の属性や取引の性質によっては書面による十分な意思確認が必要であることを明示している点や、言った言わないの争いの中での証言や供述の信用性評価について、丁寧かつ公正な検討・判断が行われている点で、意義のある判決であると言える。