第一 控訴の趣旨に対する答弁 一、本件控訴を棄却する 二、控訴費用は控訴人らの負担とする との判決を求める。 第二 控訴の理由に対する答弁(平成一一年一一月二六日付け控訴人準備書面に対する反論) 一、原判決には、控訴を許すような法律判断の誤り及び事実誤認などはなく、控訴人の控訴には理由はない。  二、法律判断の誤りだとの主張について  1、控訴人は「投資家が当該取引によって結果的に損失を被ることがあり得る点を充分に認識して投資に参画する場合には、当該取引を理解する能力があるか否か、また当該取引を理解しているか否かを問わず、投資家自身が損失発生に関して責任を負うべきは当然である。」と主張する(前記準備書面第一、二項)。  分かりにくい主張である。損失を被ることの認識が充分にあったのかがまさに問題になっているのに、それを認識・理解する能力が不要だと主張しているのは、全く理解し難い。「理解能力」なくして「認識」などないからである。証券会社が扱う投資商品というのは、多種多様でリスク、リターンも千差万別である。投資家は手にとって確かめることが出来ないから、商品の内容を確認するには、証券会社の説明を受けなければならない。商品を購入しようとする投資家にとって、リスク、リターンの情報が最も重要であるが、その中味を把握するには商品の内容を理解するしかない筈である。控訴人の言う「損失を被ることがあり得ることの認識」も商品内容を理解して初めて出来る認識である。商品内容を理解出来ない投資家に当該商品によって損失を被ることの認識は発生しようもないからである。  2、控訴人は、「投資家が当該取引を理解する能力があるか否か、また当該取引を理解しているか否かという問題は優れて投資家の内心的事情にかかわるものであり、証券会社の営業担当者がこれを正確に判断することは困難を極める」と主張する(前記準備書面第一、三項)。    しかし、理解する能力があるか否かの判断は自ずと常識が判断するものである。理解の有無は「内心的事情」などではなく、投資家の言動から充分に判断出来るである。それを判断出来ないと主張するのは証券会社の営業担当者には常識がないと言っているのと同じことである。とりわけ本件オプション取引が難解な取引であることは常識を有する一般人ならば誰でも分かることである。それをさも簡単で理解容易な取引であると説明するのであれば、そのことこそ問題なのである。    原判決が「顧客が説明を理解したか否かは説明時の相互のやり取りの中で証券会社の担当者にも自ずと判断のつくことである」と認定していることは極めて常識にかなった公正な判断と言える。  3、控訴人は、「原判決の適合性原則に関する法律判断は、何ら法的な調査権限を認められていない証券会社の営業担当者に対して不可能を強いるに等しく、証券会社やその営業担当者に損失発生に関する結果責任を問うことにもなりかねない危険なものと言わざるをない」と主張する。    これは、証券会社側から適合性原則違反が損害賠償発生根拠にならないことの主張として必ずといってよいほど繰返し出される主張である。しかし、証券取引法の規律は証券会社の度重なる不祥事の結果、それを是正するために発展してきた歴史があり、適合性原則についても、明文で証券取引法に規定されている(法四三条一号)。そして適合性原則違反が証券取引における証券会社営業担当者の違法不等な勧誘に損害を被った投資家に対する賠償根拠として、認めるのも近時の判例の流れである。一審で原告は平成一〇年三月一六日付け準備書面において適合性原則違反を民事違法と認めた判例を五つ紹介したが(一〇頁乃至一三頁)、それ以外にも、次のような判例がある。  @ 東京高等裁判所平成一一年七月二七日判決(甲一五)  「なお、控訴人らは、『適合性の原則の遵守義務を定める証券取引法五四条一項は、行政上の取締りの基準を定めた規定であるから、証券会社は同条に基づく義務を直接投資者に負っているものではないので、仮に、同条に基づく義務違反があったとしても、直ちに証券会社が顧客に対して損害賠償責任を負うものではない。』旨主張するが、いわゆる取締法規違反の行為は、直接的には行政上の処罰等の対象となっても、理論上は民事上の不法行為の故意、過失を直接構成するものではないけれども、その違反の有無は、不法行為の要件である違法性を判断するための要素の一つとなることは明らかであり、また、その取締法規の目的が間接的にもせよ一般公衆を保護するためのものであるときには、その取締法規違反の事実は、他の諸事情をも勘案して不法行為の成否を判断する主要な要素であり、一応不法行為上の注意義務違反を推認させるものである。したがって、控訴人らの右主張は、前記判断を何ら左右しない。」  A 静岡地方裁判所浜松支部平成八年三月二九日判決・証券取引被害判例セレクト五巻五九頁  「通常の判断力を有する投資者であれば、投資者が証券取引を始めるに際しても、その最終的判断は自己責任で行われるべきであり、たとえ証券会社の担当者の説明が不十分であったり、取引に不適合な顧客を勧誘して取引を始めさせたりしたとしても、それ自体は必ずしも直ちに不法行為等となるものでないが、虚偽の情報を提供したとか、当該取引の説明を歪めた形で行い、取引について全く異なった理解をさせたうえで証券取引を開始させたような場合には自己責任原則の基礎を欠いたものとして不法行為等が成立する」「このような原告に対し、現物をたくさん買って余裕資金がなくなったら、現金がなくても買える方法もあるとの一事をもって、ハイリスク・ハイリターンの信用取引の勧誘をするのは、適合性の原則に著しく欠くものと言わざるを得ない」「右不適合な勧誘及び説明義務の違反は、取引における通常の勧誘行為ということはできず、全体的に社会的な相当性を欠くものとして、不法行為が成立する」  なお、控訴審の東京高等裁判所平成九年三月二七日判決は原審維持(証券取引被害判例セレクト六巻四三頁)  B 東京地方裁判所平成九年一一月一一日判決・証券取引被害判例セレクト七巻八三頁  「被告の原告に対する本件ワラントの買付の勧誘は、原告の証券取引特性に適合しない違法なものであり、このような勧誘をした被告には過失がある」  C その他、適合性原則違反を認める判例として、東京地裁平成六年九月八日判決(判例セレクト二巻六一頁)、大阪地裁平成六年一二月二〇日判決(判例セレクト二巻一〇六頁)、大阪地裁平成七年二月二三日判決(判例セレクト二巻一二八頁)、東京地裁平成七年四月一八日判決(判例セレクト三巻二四頁)、大阪高裁平成八年一一月六日判決(判例セレクト五巻七〇頁)、大阪高裁平成九年六月二四日判決(判例セレクト六巻二四八頁)、奈良地裁平成一一年一月二二日判決(判例セレクト一一巻六七頁)、大阪地裁平成一一年三月三〇日判決(判例セレクト一二巻五二五頁)、大阪高裁平成一一年四月二三日判決(判例セレクト一二巻一三〇頁)、など多数ある。  4、よって、原判決が「取締法規に違反する投資勧誘が社会的に許容される範囲を逸脱する程度にまで至れば、その投資勧誘は私法上違法との評価を免れない」としたのは、極めて公正妥当な判断と言える。  三、事実誤認の主張について  1、控訴人は前記準備書面第二、一(本件投資勧誘が不法行為になるか)において、原判決を非難しているが、感情的な非難を述べるだけで、内容のない主張である。  2、控訴人は、原判決が、オプション取引における投資判断の困難性として「オプション取引市場の投資主体は、証券会社、期間投資家及び海外投資家が大部分を占めて」いる点を指摘する(原判決三三頁)ことをとらえて、甲一号証によっても、個人投資家は、コール取引において三五・五%、プット取引において三〇・一%だと主張するが、甲一号証一四五頁にはそのような数字はどこにもない。コール取引は八・五%、プット取引は六・六%しかいない。個人投資家の参加率は極めて低い。  3、控訴人は、オプション取引における投資判断が容易であると主張して、「機関投資家の相場予測に関する専門的判断手法がオプション取引における投資判断の絶対的なものなどではあり得ず(高等数学や統計的予測を駆使したとしても大きな損失を被る場合があることは所謂ヘッジファンドの勇と称されたLTCMの破綻を見れば明らかである)、多くの個人投資家が高等数学や統計的予測などを駆使さずに経験的に行っている「現在の日経平均株価が権利行使価格を上回るのか或いは下回るのか」という素人的判断手法もオプション取引における投資判断として当然に合理性を有していることは明らかであるから、機関投資家の投資手法と比較して投資判断の困難性を論じることは誤りである。」と述べる。  しかし、この主張では、要するに、個人投資家は、取引対象としたオプションの価格が理論的にどのような値段となっているのかについて、その値段の算出方法を知らなくてよい、右価格がどのように変動しているのか、それはどの価格変動要因によって変動しているのか(ボラティリティの要因となるデルタ、ガンマ、ベガ、シータ)についても分からなくてよい、ということとなる。従って、個人投資家は、日経平均株価を予想し、その予想が的中するか否かを途中で検証する方法を持たず、ただ限月(満期)に至って初めて予想が的中したか否か、すなわち、首尾よく当初のオプション料が利益となったか、それとも(時には巨額の)損失を計上したのかが分かるのでよいというものであり、これはとりもなおさず、まさに賭博そのものである。 本件取引の大部分を占めるオプションの売りでは、損失が無限定となるから、常にその危険を回避するためにオプション価格を注視しなけれならないのに、その価格算出方法及び価格変動要因の注視方法を全く知らなくてよいと主張しているのであるから、賭博をしているのと同じことになる。  4、日経平均株価の変動のみは危険 オプション価格は、原資産価格(本件では日経平均株価)、予想変動率(ボラティリティ)、権利行使価格、限月(満期)までの期間、短期金利、配当の六つの要素によってある程度決定可能でなのである。  平田=増田(山一証券社員)『初心者のための株式オプション戦略(新版)』二一八頁、日本経済新聞社)によると(甲一六)、「オプションの価格は、期間、ボラティリティー、株価(日経平均株価、TOPIXなど)の動きなどさまざまな要因が複雑に絡んで決まっています。ですから、一般の株式のようにチャートを見て、今は安値圏だな、もみあいから上に抜けたな、というような投資判断はできませんし、経常利益の伸び率、PERなどの企業業績や企業の含み資産を見て投資の判断材料にしたりすることもできません。それでは、投資家は、何を目安にオプションを売買しているのでしょうか。実は、オプションには価格決定理論があり、多くの投資家はその理論式から算出されるさまざまな数字を用いて売買のタイミングや割安、割高の判断をおこなっているのです。ただオプションを理解するうえで最も大きな難関となっているのが、この価格決定理論なのです。」とあり、田中勝博『実戦のためのオプション』九〇頁、シグマベイスキャピタル鰍ノよると(甲一七)、「原資産価格の変動だけを考えて、オプション取引をすることは非常に危険」であり、「原資産価格だけを眺めて相場に参加することがないようにしたいものです。」とあり、いずれも専門家は原資産価格の変動のみで市場に参加しないよう警告を発しているのである。 つまり、控訴人主張のように、オプション取引を、その本質からかけ離れて、原資産価格(日経平均株価)の上下だけを予測するものと捉えて参加させるのでは、その時点でオプション取引市場への参加資格がない者を参加させているのと同じことなのである。  5、LTCMの破綻  平成一〇年八月、アメリカのロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が破綻した。当時、LTCMには、オプションの価格理論についての世界的権威であり、かつ、右理論によってノーベル経済学賞を得たマイロン・ショールズ博士が在籍し、かつ、毎年巨額の利益を上げていた。ところが、ロシアの経済危機という金額ベースでは大したことがないが、市場心理へは悪影響を及ぼす事象のため、オプション取引を含むデリバティブ取引によって、一夜にして約二八八〇億円(当時一ドル一三五円換算)もの巨額損失を出した。そのため、ニューヨーク連邦準備銀行が音頭を取って、各銀行へ緊急の追加融資を要請した程であった。 この破綻は、実はオプション取引における市場が、リスクを回避出来ない不完全な市場であることの典型例として語られるものである。 どういうことかと言うと、オプションの売り決済を例にとると、反対売買による決済と満期時の差金決済の二通りがある。そこで、オプションの売主としては、満期時に差金決済を迫られ、巨額の損失を被る可能性があるときは、それより前に反対売買による決済(売ったオプションの買戻し)を行うことにより、損失が顕在化することがないよう対策をとる。しかし、これがオプション市場ではこの対策が常にはとれないのである。なぜなら、これは「市場はいかなる時も常に完全である」ということを前提とし、どんな量の売りでも買いでも、常に取引として成立する市場が存在することになっている。しかし、現実にはそのような完全な市場は存在しない。市場の状況いかんによって、いかにオプションの売主が「あらかじめ売っていたオプションを買い戻したい」と希望しても、売買が成立しない場合が往々にしてあり、なすすべなく巨額の損失が生じるのを拱手傍観せざるを得ないときがある。LTCMの破綻はこの例なのである。控訴人は、投資判断の専門性が不要であることの根拠としてLTCMの破綻をあげるが、間違いで、市場の不完全性の例を示すものなのである。つまり、どんなに専門性の高い者でも市場として不完全であるから、極めて危険だということなのである。  6、オプション取引の投機性、賭博性  控訴人は、個人投資家にとってはリスクヘッジ効果が必要であるかどうかという点はオプション取引が個人投資家に適合性があるかどうかとは全く無関係の事柄であるとして、原判決が『リスクヘッジが必要なのは大量且つ広範な種類の銘柄を保有している機関投資家であって、個人投資家にとってはその必要性は一般的に乏しい』と認定するのを(原判決三五頁)非難する(第二、六)。しかし、この主張も誤りである。  そもそもオプション取引の世界は、株式取引のような財産実態(株主たる地位の取得)をもたない全くのゼロサムゲームの世界である。例えて言えば、日経平均株価という資産的裏付けのない、実体のない単なる指標(株価指数)を、投資家に予想させて、大阪証券取引所が胴元として行う賭博である。これを証券取引の世界で行うのは、莫大な資産を有する機関投資家が、投資指標の中で、日経平均株価の予想を行うので、個々の株式取引のリスクヘッジ(危険分散、保険)のためにおこなうのである。  京都大学龍田節教授著『証券取引法T』(悠々社)に次のような記述がある(甲一八、六三頁)。  「投資と投機・賭博 賭博はゼロサムゲームである。胴元も取り分を含めた分配金は、賭金の総和に等しい。冨の移動以外に生み出すものはない。射幸心を煽るので禁止される。先物取引やオプション取引も構造は変わらない。それが一定の要件をみたせば適法な取引として保護されるのは、ヘッジに利用でき、市場の深みを増すなど、経済的効用が認められるからである。(改行)投資は資本を投下することである。投下した資本が経済活動に利用され、利潤を生み出すことを期待する。得られる利益には、株式の配当や社債の利息のように果実的な所得(インカムゲイン)もあれば、モトデ自体が大きくなる資本所得(キャピタルゲイン)もある。インカムゲインを得ようとする場合、およびキャピタル原因でも長期のものを狙う場合は、一般に投資ととらえる。(改行)これに対し、短期の値上がり益を狙うのは投機と見られることが多い。先物取引やオプション取引はもっぱら値上がり益、それも比較的短期のものを狙う。これらの場合、投資した資金が何かの経済活動に利用されることもない。投資と投機を分けるなら、これらの取引は投機の部類に入る。しかし、証券取引法はこういう区別をしない。短期の値上がり益を狙う者も、先物取引やオプション取引をする者も等しく投資者として扱う。」  この解説でよく分かるように、オプション取引の実態は、投機、賭博と同じであり、一般投資者は賭博を行う感覚で市場に参加せよということである。このような取引が、一般投資者には不適合であること明白である。  7、以上より、原判決が、オプション取引の個人投資家に対する一般的な適合性判断として、「個人投資家でオプション取引に適合するのは、投資家の方からハイリスクを承知で積極的にこれを希望する場合を除き、資金力と長い投資経験があり、証券取引、とりわけオプション取引についての深い知識と理解を有し、他の取引では出来ない投資戦略をとる必要がある場合に限られる」と判断するのは(原判決三五頁)、極めて公正で且つ、妥当な判断と言える。  四、説明義務違反について  1、控訴人は、被控訴人がオプション取引について理解していた根拠として、○○○○がオプションの売り方に関する最大リスクの説明場面において保険契約の例まで出していたので、正しく理解出来ない人間などいないと主張する(第二、一〇、一一項)。    このような説明があったことそれ自体被控訴人は争っているが、仮に保険契約の例が出たとしても、○○の説明は全く不十分である。  そもそも、保険契約がオプション取引を説明する際に利用されるのは、オプション市場の存在意義が、保険に類似しているからである。例えば、自動車保険は一年間の掛け捨ての保険であり、無事故であった場合、支払保険料は戻らないが、万一事故が起こった場合には多額の保険金が支払われるのと同じく、将来起こるかもしれないリスクを現時点において一応値付けして(オプション料)、当該リスク自体を取引の対象とするものである。  他方、本件の日経二二五オプション取引は、最長でも四カ月間しかオプション(建て玉)の存在が許されていない市場であり必ず短期間で決済することが前提の市場である。株式の現物取引のように、買い付けた株式が値下がりしたため、将来の値上がりを期待して長期的に保有する(塩漬けする)ということはあり得ない。つまり、前記のとおり、市場自体が、完全なゼロサム社会で、一方の損失の総量が、他方の利益の総量に等しいという取引市場である。  これらのことから分かるとおり、オプション取引市場は、将来に起こりうる損失を回避したいと希望する者(リスク・ヘッジャー、自動車保険の保険契約者)と、そのリスクを一定の対価のもとに引き受ける者(リスク・テイカー、自動車保険の保険会社)が存在することにより初めて成立する市場であり、かつ、リスク・ヘッジャーが受け取る利益は、全てリスク・テイカーが支払うこととなる。  従って、オプション取引市場に対する投資者の態度としては、基本的に、一定のオプション料を支払っても将来の損失を回避したいと考えるのか(オプションの買い)、それとも将来起こりうる損失のリスクを、一定のオプション料の受領と引き換えに、全面的に背負うことも厭わないと考えるのか(オプションの売り)によって大きく二つに分かれるのである。  言い換えれば、オプションの買いは、掛け捨ての保険へ加入するような感覚であるのに対し、オプションの売りは、義務を背負う感覚であり、特にオプションの売手になる場合には、利益がわずかなオプション料に限定されても、損失が無限定でもよいという感覚で市場に参加しなければならないのである。それ故に、このようなオプション市場に参加するのは、生命保険会社といった世界に冠たる巨大な機関投資家だけであり、高等数学を修め、複雑で難解な金融工学に通暁している者だけであり、かつ、それがオプション先進国・アメリカの実情であり、日本の実情でもある。  オプション取引を保険契約に例えるならば、このことを被控訴人に分かりやすく説明しなければならない。控訴人は、これを怠り、被控訴人が右のような感覚を持っていなかったことは明らかである。もし、被控訴人が理解していたならば、オプション取引市場に参加していないことは明白である。  2、ロールオーバーの違法性  控訴人は、損金支払いの先送り方法であるロールオーバーについて、平成九年一月に○○と被控訴人が協議してとった手法であって、原判決の認定が間違っていると主張する。  しかし、平成九年一月の協議は、被控訴人にとって全く知らないことである。この一月の相場変動の前後におけるやりとりは、○○○○供述に一貫性がなく、信用出来ないものであることは、平成一一年七月一二日原告準備書面二八頁乃至三一頁にかけて述べているとおりである。  ロールオーバーは原判決が述べるとおり、「損失を先送りして決算期を乗り切りたい会社等にはメリットがあるが、個人投資家にとって、原告にとってもリスクが急速に拡大するデメリットはあっても何らメリットが考えられない」のである(原判決四一頁)。控訴人は、これが被控訴人の意向及び希望そのものだと主張するが(第二、一四項)、リスクをますます拡大する方向に立ち向かうロールオーバーのどこに被控訴人の希望があるのであろうか。もし、それが事実としてあったとしたならば、それこそが、オプション取引の危険性について理解していない被控訴人の態度そのものだと理解するしかないのである。  五、以上、控訴人の主張は、いずれも根拠も合理性もないものであって、原判決の認定は公正妥当で正しいものであるから、控訴は棄却されるべきである。