大阪地方裁判所 平成四年・第二一八七号 損害賠償請求事件 原告準備書面(一五)   原告  X   被告  和光証券株式会社  右当事者間の頭書事件について、原告は後記の通り弁論を準備する。 一九九七(平成九)年一月二四日   原告訴訟代理人 弁護士  三  木  俊  博 弁護士   櫛田寛一 弁護士   中井洋惠 大阪地方裁判所 第二四民事部  御中 目次 第一、はじめに 七 第二、本件事件の概要 七 一、経歴 七 二、信用取引開始時に原告のおかれた状況 八 三、本件取引以前の証券投資歴 八 四、D子の死亡前後の証券資産の管理 一一 五、A課長の勧誘と信用取引の開始 一一 六、平成元年七月下旬〜同二年一〇月頃まで 一五 ・ 取引の方法 一五 ・ 売買報告書 一六 ・ 原告の把握 一七 ・ 取引明細書(乙一三)への署名捺印 二一 ・ 本社からの警告 二三 ・ 支店長からA課長への警告 二八 ・ 平成二年九月における原告の決済の拒否 二九 ・ 原告の日記 三〇 ・ 被告会社に対する不信と取引の終了 三〇 第三、本件取引の異常性(不合理性)の補充 三四 一、乗り換え経緯表から明らかな異常性(不合理性) 三四 ・ 同一銘柄の売り買いを繰り返す「出し入れ取引」 三五 ・ 利乗せ建株拡大 三六 ・ 大量推奨販売 三七 ・ 手数料不抜け 三八 二、具体的事例 三八 三、被告本社も認める異常性(不合理性) 四七 第四、取引の過当性 五一 一、はじめに 五一 二、大量かつ頻回であること 五二 三、原告に適合しないこと 五四 ・ およそ一般投資者には適合し得ないこと 五五 ・ 到底、原告には適合しないこと 五八 四、まとめ 七〇 第五、コントロール(口座支配、実質的一任売買)性 七一 一、はじめに 七一 二、当事者の証言 七一 三、客観的取引内容からの検討 七二 四、原告の関与態様 七四 五、まとめ 八四 第六、おわりに 八五 記 第一、はじめに  本準備書面においてはまず、本件事件全体の経過を概略的に明らかにした上(第二)、前回の原告準備書面(一四)に続いて、本件取引の異常性(不合理性)の補充論証を行ない(第三)、そのような事実関係を踏まえて、本件取引が過当取引として違法であることを「取引の過当性」(第四)、「コントロール(口座支配)性−もしくは実質的一任売買」(第五)等に章を分って総括的に論証するものである。 第二、本件事件の概要 一、経歴  原告は大正一五年生まれであり、大連商業学校を卒業後、一九歳で予科練に行き、復員後、京都の地場証券業者で小僧(三か月程の臨時雇、雑用係)として株価の黒板書きの仕事をした。二四歳のとき、大阪府警に就職し、五〇歳で退職したが職種はパトカー乗車勤務であった。その後、自動車運転手として就職したが、昭和六二年に退職してからは無職である。 二、信用取引開始時に原告のおかれた状況  妻D子とは、昭和二五年ころに結婚した(入籍は同四一年)。  原告夫婦は子供がなかったこともあって、結婚後の楽しみと言えば、コツコツとお金を貯めることであり、贅沢もせず、一生懸命働いて貯蓄に励み、貯蓄は言わば二人にとって「子供」の代わりのような存在であった。  しかし、D子は同五三年頃より胃の調子が悪くなり、同六一年頃に豊中市民病院に入院した。同女の病名は胃ガンで病状は日に日に悪化して行った。原告は病院に泊り込んで看病し、同六二年六月に退職するまでは、病院から勤務先に通う毎日で、長い患いであったので原告も看病に疲れ果てていたが、看病の甲斐もなく、D子は同六三年九月二三日に亡くなり、原告は独りぼっちになった。 三、本件取引以前の証券投資歴 ・ 原告は前述したように地場証券業者で小僧として働いていたことから、株式投資に興味を持ち、昭和三〇年頃に初めて被告会社の前身である大井証券で株式を購入して以降、警察官としての給料で買える範囲内で株式を少しずつ買い貯めていった。 ・ 原告が取引をした証券会社は、一時的に日興証券と取引をしたことがあるも短期的なもので、一貫して被告会社であり、その間、両者の間にトラブルもなく、担当者が替わっても良い関係を保ちながら、三〇年にわたって原告は被告会社に対して信頼を深めていった。 ・ 原告の投資意向  原告の投資意向は、現物取引一覧表を見ても明白であるように、次のようなものであった。 1、購入銘柄は東証一部上場のもので、一つの業種に絞らず松下電器産業、三井物産、東京海上など各業種のトップクラスの企業を選ぶ。 2、購入件数は主として一〇〇〇株ずつ。 3、購入頻度は、平均して年三〜五回程度。 4、一旦購入株式は保有し続け、ほとんど売却しない。  すなわち、原告は一旦購入した株式を売却して差益を得ることをせず、一流企業の株式の資産として保有し、無償増資で資産を増やすことに興味と関心を持ち、また、現金で配当を貰えばそのお金で銀行に預金し、銀行預金が一定額になった段階でまた優良企業の株式を少しずつ購入していた。 ・ 右のようにして、昭和三〇年ころよりコツコツと株式を買い貯めて、同六二年に完全に仕事を引退したときは、三四銘柄、時価にして約九〇〇〇万円の株式を保有するに至っていた。 ・ 原告は右三四銘柄について、毎日、その日の価格を新聞より拾って値洗いし(原告八・一〇・九調書一〇丁裏。日記帳への記載について見ても、例えば昭和六三年七月から平成元年七月までの一年間を拾ろうと、一八回も根洗いの記録がある。)、自分の現在保有する株式の価格を算定し、楽しんでいた。 ・ 原告の株式投資意向が右のようであることは、被告会社の担当者であれば、A課長をはじめ全員が熟知していたものである。 四、D子の死亡前後の証券資産の管理  D子が死亡する昭和六三年夏頃、被告会社に同女の親戚のE名義の証券取引口座にあることが判明した。そこで、D子に問い質したところ、原告の給料とD子の収入をもって購入した株式であることなどを確認した。そこで、原告は、同女がなくなったとき、紛争が生じても困ると考え、Eに被告証券との取引があるかの確認をとったのち、すぐに被告会社にE名義の証券を全て売却の手続をとってもらった。被告会社は一旦現金にして、右E名義の株式の売却代金を病室に持参したが、銀行の取引時間を経過したため、被告会社のD子口座で保管してもらうこととなった。  右のようにE名義の株式が判明した際も、被告会社はきっちり手続をとってくれたので、原告は益々同社に対する信頼を深めるのであった。 五、A課長の勧誘と信用取引の開始 ・ 長い看病生活を経たのち、最愛の妻であるD子が亡くなったことから、原告は肉体的にも精神的にも疲弊仕切った状況であった。  右のような原告に対し、D子の死亡前後から、A課長はしきりに「銀行のように利子をたんと付けますからうちに置いていてくれ」と勧誘してきた(原告七・九・八調書六丁、原告七・一二・二二調書五丁裏)。  そして、原告自身もD子の死亡後、年をとってきたため、三四銘柄もある株式について株価の変動を正確に理解した上で的確に管理することができないので、それらの多数の銘柄をより安定した少数の株式に絞りたいと考えていた(原告七・九・八調書六丁表、原告七・一〇・一三調書一〇丁裏、一四丁裏)。  更に、D子が亡くなったことは原告にとっては最悪の事態であり、このようなときは株式をすべて売却してしまい、一からやり直したいとも考えていた(A六・一一・一一調書七丁裏)。  そこで、平成元年二〜三月にかけてD子名義の株式等も全部売却して原告名義の取引口座にまとめ、さらに同年七〜一〇月、三四銘柄の株式のほとんど全てを売却・現金化した。 ・ 右現金化した売却代金については、少数の株式を選定して購入する間の保管先として、前述したようにA課長がしきりに勧誘していたので、長年信用を培った、またD子死亡時にE名義の件をきちんと処理してくれた、そして、肉親のいなくなった原告に対して親身になってくれる被告会社、すなわちA課長に預けることにした。 ・ 原告の認識は、A課長の言葉通り、証券会社が銀行と同様に原告のお金をただ預かり、銀行よりよい金利をつけてもらうとのものであった。  被告会社の取引記録では原告が「ニューシステムバランス」や「累投セレクトファンド」を購入したことになっているが、右の商品の購入に際して、原告はA課長から商品の説明を受けたことはない。ただ、A課長が元本保証で、すぐに現金化できる商品を購入してもよいかと言ってきたので、原告はそれであれば、預金と同様であると思ったことから、右の商品購入を許可したのみであった(原告七・九・八調書六丁裏、七丁表、原告七・一二・一二調書五丁裏)。 ・ そして、平成元年七月頃、B支店長とA課長が、原告に対して「小遣い銭稼ぎに、信用取引をしてみませんか」と持ちかけた(原告七・九・八調書七丁裏)。  原告は、前述したように和光証券に預けてある資金で近いうちに機会を見て、少数の安定優良銘柄に絞って投資し運用しようと考えていたことや、原告の資産は老後生活して行くのには不足はなく、敢えて信用取引をして大きな利益を図る必要はなかった。  しかし、前述したように長年親しんできた(日常いろいろとお世話になっている)被告会社であり、そのA課長らが熱心に勧誘することから無下に断りきれなかったことや、その内容が「小遣い銭稼ぎ」、すなわち、預けてある資金の一部で手堅く投資するとの勧めであったので、その程度であればよかろう、信用してきた被告会社が原告に大きな損をかけることはないと考え、A課長のリードで信用取引をすることに応じたものである(原告七・九・八調書七丁裏)。  右に反し、A課長は原告が二億から三億、三億から四億と資産増加のペースを考えていたので、現物取引では限界があり、信用取引となったと証言するが、右のような事実はない。その証拠に原告は信用取引が始まった当初である平成元年七月辺りにおいて、右のような感想につき、日記帳を見ても一切記載がない。  また、後述するように、右のような願望をたとえ顧客が述べたとしても、それは単なる願望であり、まともに証券会社がとりあうような投資意向と呼べるようなものではないのである。単なる願望を、被告が逆手にとり、針小棒大に援用したとしか思われない。 六、平成元年七月下旬〜同二年一〇月頃まで  右のような経緯で信用取引を初めとする本件取引が始まったのであるが、右を皮切りとして、その後の取引は別に論じる通り、原告の以前の手堅い正常な取引とは異なり、まさに丁半博打の部類に属するような危険極まりない方法による、違法な過当売買が行われ、最後には、原告の保有する株式は池田銀行一〇〇株、ソニー五〇〇株とほとんど無一文の状態に置かれ、身ぐるみを剥がされたのであった。  そして、本件取引の期間における原・被告間の取引の方法などはつぎの通りである。 ・ 取引の方法  信用取引を始めるようになって以降、売買のやり方は、A課長の一存で勝手に銘柄・価格・数量を決めて売買していた(A六・一一・一一調書二七丁裏、A七・三・一七調書一九丁外)。  そして、原告に事後になって山口という女性社員を通じて取引の内容を連絡してくるという方法であった(原告七・九・八調書八丁)。右の報告についても、すべての取引につき報告があったのか、一部だけだったのか、それすらも今となっては分からない(甲B二〇・日記事項等一覧表には取引の記載がある部分とない部分があり、ない部分の方が多い)。  A課長自身もその証言において、週のうち三、四日は原告は 昼から外出していた。従って、少なくとも、右頻度で事後承諾の取引をA課長が行っていたことを認めている(A八・一〇・九調書二一丁裏)。 ・ 売買報告書  売買取引の「報告書」は送られてきていたが、原告はただ、子供のようにきれいに延ばして机の上に重ねるのみであった。  すなわち、原告が以前自分で行っていた現物取引と異なり、A課長が主導権を握ってなした本件取引においては、平均でも週九回の取引が行われており、原告の取引は一四三銘柄・八種類の市場を通じて売買し、その売買回数は計七七六回(年平均五一七・三回、月平均三八・八回、週平均八・六回)であり、取引総額は約三一三億円にも昇った。  従って、余りに売買回数や金額が多過ぎて、報告書も何枚にもわたるような状況で、また、同じ銘柄についても頻繁に売り買いを重ねているので、どの買いがどの売りに結びついているのかも分からず、かつ原告はA課長を全面的に信用して任せていたので、報告書を点検するようなことはなく、ましてや、報告書の内容を転記し、集計することもしなかった。それゆえ、単なる個別の取引を記載した報告書だけでは、損益、およびその時期の全体の損益などを含めた取引の全容を読み取ることはできなかったのである(原告七・九・八調書一〇丁裏〜一二丁裏)。 ・ 原告の把握  1、そこで、原告は自分の取引がどうなっているかを把握するために、A課長に対して、「いま現在どうですか」と尋ねたところ、同課長は「若干の損でございます」との回答を繰り返すばかりであった(原告七・九・八調書一一丁裏〜一二丁表)。  原告は、もっと突っ込んで、同課長を問い質し、損益の明細について説明を受けるべきであったが、長年慣れ親しんで来た被告会社を疑うような行為をするのがはばかられ、同課長は当初の約束通り、小遣い銭稼ぎ程度の取引を行っており、まさか、多額の損害がでるような取引を行っていることがないであろうと考えて、右回答以上に問い質すことはなかった(X七・九・八調書一一丁裏)。  右のような原告の心情は日記の中に如実に表れている。すなわち、平成二年六月二六日付け日記の中に「自分で買付け、売付けしてないと、全トータルしか分からず、一度はっきり話せば、信用できる和光証券だから心配はいらぬと思うが一度銀行に全部「お金」にしてしまいたい」と記されている(乙二八−一。なお、甲B二〇・一覧表同日付欄)。 2、原告は取引の実態を知らされていなかったのである。  ・ 後述するように原告の本件取引は不合理な取引が多いが、原告が当時自分の取引を把握していれば、そのような不合理な取引を容認するはずもないのである。 ・ 原告は過去の事項の詳細についてはよく覚えていないが(原告八・一〇・九調書二丁)、日記帳を毎日、メモ代わりにつける習慣が中学生のときからあった(同一丁)。  本件でもこがねでの会合、C支店長の訪問等重要な事実の日付はほとんど日記帳に記載されており、右により特定できた程である。  ところが、原告の取引は多数に及ぶが、原告がその取引につきメモしている箇所は極めて少ない(甲B二〇・一覧表)。  例えば、平成元年に信用取引を始めてから、同年八月ないし一二月において多数の取引が行われ(前同号証)、多額の累計損が出ているにもかかわらず(被告六・六・二一付準備書面「月別損益一覧表」より)、原告の日記帳の記載は極めて少ない。また、損失が出たことに関する感想もないがごとしである(前同号証)。  原告は後述するように、Xが本件取引の多大な損害を初めて認識したのは、支店長が原告宅を訪問した平成二年一〇月八日(乙二八−三)辺りになってからであった。  そして、損はもとより、トータルで利益の出たことも知らされていなかった(原告七・一二・二二調書六丁裏、原告八・一〇・九調書九丁裏)。本来であれば益は顧客自身が自己手中に収めるところであるが、本件ではすべて原告の手元に渡らず、被告会社が手数料を稼ぐ取引に使用されていたのみであった(原告七・一二・二二調書七丁表)。  単純に言っても、信用取引を始めた同年七月から同年一二月二九日までは、株価が右肩上がりであり(乙一五)、日経平均株価が金三万円を超え、一時は金三万八〇〇〇円台にもなり、どのような素人が取引をしても、利益を得る時期であった。このような時期に八五〇〇万円もの損失を生じていることは異常なことである。右のような事実を原告が知っていれば、その後もA課長に取引をさせるはずもないのである。  また、右の時期に右のような損害が生じていることも原告は知らなかったのであるから、ましてや、その当時(平成二年一月末まで)の手数料合計が四三七一万一一四六円(原告準備書面(二)添付の集計一覧表より)に上っており、損の過半数が手数料によるものであることを知るよしもなかった。 ・ 取引明細書(乙一三)への署名捺印  原告は取引明細書に署名捺印したが、右は同人が被告会社に赴いた際、様々な書類に署名捺印を求められたが、その中の一つとして、署名捺印をしたまでのものである。 1、原告は右書面の説明を受けていないと証言する(原告七・九・八調書一〇丁)。  そして、原告の日記を見ても、乙一三−一(平成元年九月二六日)、同−三(同二年三月一二日)、同−四(同年五月三〇日)、同−五(同年八月二〇日)、同−六(同年一〇月八日)につき、何らの記載もない。  唯一、何らかの説明があったのではないかと考えられるのが、同−二(平成二年二月二八日)である。ここにおいても、Xは現在の株式の評価残高しか書き込んでいない(同時期においては、たまたま原告取引においては数少ない累計がプラスとなった時期であり(前述の「月別損益一覧表」)、原告の本件取引における問題意識が持てなかった時期であることを注記する)。 2、原告の能力との関係  さらに、原告の以前の取引内容や経歴等を考えると、そもそも、いかように説明がなされようとも、原告自身は、一一五センチメートルにも及ぶ書類の内容につき理解する能力はなかったものである。 3、A課長の説明に関する証言  A課長は取引報告書を説明した時間が一〇〜二〇分程度であったと述べる(A八・一〇・九調書三丁裏、七丁表、九丁裏、一〇丁表、C八・四・一七調書四一丁裏)。  しかし、乙一三−一乃至五の取引明細書は長いもので、なんと約一五六センチメートル、三一一行にも及び、平均約一一五センチメートルある。  そのような取引報告書の内容全てが、一〇〜二〇分で説明できるはずもない。 4、取引明細書(乙一三)の日付の不自然性との関係  被告は本社の警告を受けて同書を説明し、署名捺印したと述べるが、後記5で後述するように同書の日付には不自然なものが多い。従って、真実、被告が言うように、真摯に本社の警告を受けて、同書を説明したうえで、署名を求めたかは甚だしく疑わしい。むしろ、その日付の不自然性からすれば、被告が店頭に現れた原告にどさくさにまぎれて、適当に、署名捺印を求めたと考える方が自然である。 ・ 本社からの警告 1、右のように原告はA課長の「若干の損」との言葉のみに信頼を与え、取引の内容につき把握していなかった。  他方、被告の方は、本社より再三の異常取引として警告がなされていた。  すなわち、平成元年九月一一日、同二年二月二〇日、同年五月一六日、同年七月二〇日と四度にわたって警告が本社より池田支店に対して行われているのである(乙三四−一〜四)。  しかし、被告会社において乙一三に署名捺印を求めるのみで何らの対応もなされておらず、原告に対して、問題取引であるとの説明もなされていないのである。  これに対し、A課長はA八・一〇・九調書三丁裏において、「本社からこういうように言ってきてるんだけど」とあたかも本件取引の問題性を説明し、署名捺印を求めたかのような証言がある。しかし、社会通念上、顧客に対して、その内容を知れば、取引を中止するかもしれない内部の事情をあえて、説明することは考えられないし、また、その後も原告が変わらず取引をA課長に任せていることを考えると、右時期において、A課長が本件取引が問題があり、本社より警告されていることなど原告に説明したとは到底考えられない。 2、本社からの警告に対する池田支店の報告  被告は本社からの警告(乙三四)に対して、同一三をもって、原告の意思を確認にし、問題がないことを本社に報告したと述べる。  しかし、右乙一三と同三四の間には、「乙第一三号証と乙第三四号証の問題」の通り、不自然な点が多い。  すなわち、 ・ 乙三四−一では確認月日が九月二〇日となっているにもかかわらず、同一三−一では日付はブランクで、署名右上の日付は同月二六日となっていて、日付に一致がない。  さらに、報告書自身の日付は同月二五日となっており、原告の署名を徴求する前に報告書が送付されていることになる。  なお、A課長は報告書の日付は本社からの通知日であると言い訳をするが、右が通知日ではないことは、被告平成六年九月一二日付準備書面より明らかである(右別紙参照)。 ・ 乙一三−二が同三四−二に対応するものと考えられるが、これは二月二八日に署名を求め、同日が確認日となり、同日に報告書を本社に発送しているので問題がない。ただ、この同日においては支店長はBからCに変わっていた(C証人尋問事項書末尾添付の「経歴」)にもかかわらず、B名義で本店に対する報告書が出されており、右点に疑問が残る。 ・ また、乙一三−四に対応するものが同三四−三になるが、原告の署名は五月三〇日であるのに対して、確認日は同月一八日となっており一致しない。すなわち、同一三で原告の意思を確認する前に既に確認したことになっているのである。  さらに報告書の日付は、確認日以前の同月一六日となっており、確認以前に報告がなされていることとなる。 ・ そして、乙一三−五に対応するのが同三四−四であるが、同三四−四には確認月日を初め受付印以外一切日付がない。  右のような日付がバラバラになっている点などからすれば、前述したように、被告が述べるように、本社の警告に対応して、原告に取引内容を示し、確認したとは考えられないのである。 ・ 支店長からA課長への警告  C支店長が平成二年六月二九日にA課長に、今後の短期決済、および事後承諾を禁止した旨述べる。 1、原告の認識  実際、右事実が存在したかどうかは疑問であるが、いずれにしても、右のような事実があったことは原告には何ら報告されていない。原告は右以降も、A課長を信頼し、本件取引が継続され、銘柄、数量、金額の選択を同課長がしていたことという本件の本質は何ら変質していないのである(C八・四・一七調書四六丁裏、A八・一〇・九調書三一丁表)。 2、支店長の対応  むしろ、支店長の対応で特記すべきものは、同支店長が外に出て名刺をもって回るという支店長の本来の仕事を打ち捨てて、A課長、すなわち、一平社員ではなく、営業課長の監視を行っていたという事実である(C八・四・一七調書三〇丁)。右はA課長の行動がいかに異常なことであるかを物語るものである。  右支店長の行動は、A課長が単に午前中にとった承諾で午後取引をし、その後事後承諾を受けていたという事実のみを受けての行動とは思われない。  同支店長はA課長の行動は問題がないと言い繕うが、まさに、同人自身の行動が、当時A課長の行動が如何に問題あるものであったかを如実に物語るものなのである。 ・ 平成二年九月における原告の決済の拒否  A課長やC支店長は平成二年九月に入ってから原告が決済を拒否した旨述べる。  しかるに、同月においても、その二一日、二七日において信用取引の決済は行われているのであるから、右証言は事実に反するものである。  また、日記帳においても(乙二八−三)、同月二一日のところにおいて「和光−A課長、山口からTELあり 損切りの話しあり」との記載がある(甲B二〇・一覧表同日付欄)。右記載から、決済の話がA課長らよりなされ、その日のうちに現実に決済がなされたものである。右事情から見ても、原告が九月中に決済を拒否した事実は窺われないのである。 ・ 原告の日記  原告の日記には、本件取引に関する記載が数カ所ある。  しかし、右は内容を把握して原告が書き込んだものではない。本件では山口という女性社員が取引ののち報告してくる数字、もしくはときたまA課長がしてくる内容をそのまま書き取ったものであり、原告が理解して記載したものではない。また、仮に百歩譲って、原告が書き取った内容については理解していたとしても、同人の取引の膨大な量からすれば日記の程度の「個別の」内容を理解しても取引を把握するには至らないものである。 ・ 被告会社に対する不信と取引の終了 1、平成二年九月頃になって、株式市況が悪化してきた。  そこで、心配した原告が平成二年一〇月三日に、A課長に対して、ここに至ってA課長に正確な損失額、もしくは現在残高を問い質すことを決心した(日記帳より。「電話で明日行くことに決めた+−を数字はっきり今日だしておくという」乙二八−三)。  そして、翌四日に、正確な残高を聞いた原告は余りの驚きに「一日中ぼっとした感じた」と日記帳に記載する。  右話の内容は「(原告の残高が)一億六〇〇〇万円現在という」ということであった(翌五日の日記帳より)。三億二〇〇〇万円が抵抗ラインと考えていた原告にとっては晴天の霹靂に等しい結果であった。 2、被告会社は、原告の驚いた様子に、問題となることを察知した。  そこで、一方で、原告を平成二年一〇月一四日に有馬温泉旅行に誘い、かつ支店長が今後は自分が監督する旨述べるなどして懐柔策をとり、原告の苦情をうやむやにするとともに、他方で、同月八日に原告宅を支店長自ら訪問して乙一三−六に署名捺印をなさしめるとともに、同月九日、一二日と日証金の借入れにつき、返済をしたものである。 3、しかし、原告としては被告会社の本件取引に納得いかないところが残った(同月一四日の日記帳より)。 4、なお、損害につき、A課長に説明を求めたところ、その時期となっては、同課長も取引の全容を把握しておらず、損害が生じた銘柄、損害金額を列挙したのち、日証金での借入れを忘れていたと述べたものである(原告八・一〇・九調書五丁裏)。 5、平成二年一〇月以降の取引について  その後の取引は、いわゆる「敗戦処理」のようなものである。  多少の買い(現物でフジッコ一〇〇〇株・島精機三〇〇〇株・日光堂二〇〇〇株・池田銀行一〇〇株、信用で三井造船五〇〇〇〇株)は行ったものの、右はむしろ益がでており本件取引における損害に関係していない。  その他は、多額の損害が発生したことが発覚したときに、既に購入、もしくは買い建ててあった株式の処理である。  右処理において、さらに多額の損害がでたのである。  なお、多額が損が発覚した(平成二年一〇月)以降、その処理の段階において、原告と被告会社との間に摩擦が生じて、決済が進まない時期があったようである。  しかし、決済が進まないことによって損害が発生したかどうかは明らかでなく、突然多額の損失がでたことにより、被告会社が信用できなくなったことから、決済が進まなかったとしても無理からぬところ、もう一歩進んでいうならば、自然の流れである。  むしろ、右事後処理による損失は、それ以前に被告会社、A課長が取引を行ったことによるものである。 6、そうしているうちに、原告は同年一二月から同三年一月一九日まで入院した。退院してみると多額の損失が出ていることが分かった。これが、原告いわゆる二回目の多額の損害発覚である(原告八・一〇・九調書一六丁裏)。  原告が再度苦情を述べると、A課長は「まだ土地がありますでしょう」と述べ、土地にまで触手を伸ばす雰囲気があった。これ以上、同課長らと関わってはいけないと考えて、同年二月に被告会社との取引を終了した。  そして、原告に残されたのは、池田銀行一〇〇株、ソニー五〇〇株とわずかなものになった。(京都支店には投資信託等が少しあった)。  そこで、同年三月に大阪弁護士会法律相談センターを訪問して、本件裁判に至った。 第三、本件取引の異常性(不合理性)の補充 一、乗り換え経緯表から明らかな異常性(不合理性)  原告準備書面(一四)九頁から二六頁において、主として「量的」な側面から本件取引がいかに異常(不合理)であるかを論証したが、個別(あるいは一団)の取引を分析しても、いわば「質的」な側面において異常(不合理)と評しうる売買取引が多数存在している。以下、個別(あるいは一団)の取引を分析して、本件取引は、原告の投資判断による売買取引でないだけでなく、A課長が原告の適合性に配慮しつつ実質的な一任取引をしたが失敗したのでもなく、むしろ同課長があえて原告の利益を無視して実行した売買取引というほかないことを明らかにする。  本件取引においては多数の乗り換え売買が行われている。その個別的内容は本書末尾添付の乗り換え経緯表記載(なお、これは当事者間に争いのない事実に基づいている)のとおりであり、それは次の五類型に分けられる。 ・ 短期の乗り換え  原告準備書面(一四)一九・二〇頁でも短期売買を指摘したが、乗り換え経緯表を見ればより明らかなとおり、ほとんどの取引がその日の内、又は次の日か二〜三日後に処分し、次の銘柄に乗り換えている。このような短期乗換え売買においては、手数料を多額に計上することが容易となる。売買取引が頻繁になればなるほど顧客の資金で手数料を多く稼げるという意味で、顧客と証券会社は利害相反する。この短期乗換え売買は原告の意向によるのではなく、A課長の意向・投資判断による。A課長は原告の負担=損失において大量の手数料を稼ぎ出した。 ・ 同一銘柄の売り買いを繰り返す「出し入れ取引」  乗り換え経緯表2〜6三陽商会、9〜25三洋化成、15〜21モスフード、24〜48ナイガイ、50〜55ツムラ、54〜59ケーヨー、69〜77千代田化工、 103 〜111 任天堂に「出し入れ取引」が見られる。  ある銘柄の株式を買付けた後、相当程度上がった所でこれ以上上がらないと判断して処分する場合や、下がった所で今後も上昇に転じないと判断して処分する場合があることは当然であるが、前記した売買取引においては、いずれにせよ既に見切ったはずであるのにすぐ又同一銘柄を買いつけることが行なわれている。同一銘柄の売り買いを繰り返しているのである。これは、米国の証券取引法理で「出し入れ取引」と呼称されている手法である。ある顧客の取引口座からある特定の証券を出したり入れたりすることからの命名であろう(甲A一八−一乃至三・今川論文)。これは相場操縦の思惑があって当該銘柄の相場が繁盛しているように見せかけるためか、さもなくば何らの投資判断もない甚だ無定見な売買手法であって手数料稼ぎのみを考えたものという他ない(これらの中に、いわゆる麻布銘柄があり、前者の可能性も強い)。 ・ 利乗せ建株拡大  利益が出ても原告に還元することなく、信用取引の委託保証金に振り替えている。次の信用取引を拡大するためである。このことによって、保証金・同代用証券が担保しうる総代金額目一杯の建株が建てられることとなり、価格が予想と逆の方向に変動した場合、追加保証金を用立てることが困難となることや損失が大きくなること等の危険性を増す。不合理な売買取引の一つである。そして、そのことは本件取引において実際に現実となっている。 ・ 大量推奨販売  乗り換え経緯表2〜6三陽商会、9〜25の三洋化成、15〜21モスフード、24〜48ナイガイ、50〜55ツムラ、54〜59ケーヨー、69〜77千代田化工、 103 〜111 任天堂では大量の枚数が売買されている。  一つの銘柄で大量の株数を買付けることは危険な行為である。特にナイガイやケーヨーなどは元々薄商いの銘柄であって値動きが激しいが、それを何万株、一〇万株と買付けているのは無謀である(あるいは仕手絡みの思惑によるものである)。  しかも、相場操縦や健全性省令二条三号作為的相場形成あるいはその助長の疑いすら濃厚である。 ・ 手数料不抜け  証券の売り買いにより手数料を控除すると利益がゼロ又はマイナスという取引。手数料が「抜けない」との意で「手数料不抜け」と呼称される。手数料幅も考慮しない投資判断の結果であって、極めて不合理な売買手法である。端的に言えば、手数料稼ぎ目的の売買だからそうなるのである。その「手数料不抜け」が随所に看られ、原告に何の利益ももたらさない取引が相当多数ある。 二、具体的事例  以下、本書末尾添付乗り換え経緯表に沿い、個別具体的な銘柄の売買取引を取上げて、そこに見られる不合理な特徴を指摘する。 ・ 三陽商会株  平成元年七月二五日に一四七〇円・一四八〇円・一五〇〇円・一五五〇円で買い、その日のうちに一五三〇円仕切り、次の二六日に一六三〇円・一六四〇円・一六六〇円、七月二八日に一七〇〇円・一七一〇円と小刻みに買いを進めて手数料を稼いでいる。 ・ 東急ホテル株  八月一日に二八二〇円・二八三〇円で買い、翌日の二日三一三〇円で買い、八月四日に二八九〇円・二九〇〇円・二九四〇円・二九五〇円で処分して損切りで終わらせている。 ・ 東京日産自動車株  八月四日に二九〇〇円・二九四〇円・二九五〇円、七日に二七八〇円・二八〇〇円・二九一〇円で信用買いをし、八月一五日・一八日二二日に現引きしている。現引は、信用取引の六か月の決済期間が近づき、期間内で決済すれば損をすることは間違いないが、以後上昇するかもしれないという見通しの時に総代金額を支払って現物株にして持っておくものである。ところが、信用買い建て後一〜二週間経っただけなのに現引している。更に、将来の上昇を期待して現引きした株について、八月二九日や九月五日という現引直後の時期にわざわざ二七〇〇円という損失を出す価格で処分している。  なお、これは仕手株=いわゆる麻布銘柄であることにつき、原告準備書面(一四)一二・一三頁参照。 ・ 三洋化成株  八月二三日一八二〇円・一八三〇円で、八月二八日一八四〇円で大量の信用取引をし、八月三〇日に損切りし、九月七日や八日に一八七〇円・一八四〇円で現引きしているが、将来の上昇を期待して現引きしたはずにもかかわらず、直後の九月一二日に一七九〇円・一八〇〇円で処分し、更に九月一一日に買いつける時は一八八〇円・一八七〇円の高値で買い付けをしている。原告にじわじわと損をさせて行き同時に被告会社が手数料を稼ぐ方法が取られている。  なお、これも仕手株=いわゆる麻布銘柄であることにつき、原告準備書面(一四)一二・一三頁参照。 ・ モスフード株  九月五日に七七〇〇円等で買いつけて、翌日の六日に売却し、小森印刷機株に乗り換えている。この投資行動は通常モスフード株を見切って短期で利食いして、モスフード株より有望と考えた小森印刷機株に乗り換えたもののはずである。ところが、七日にその小森印刷機株を処分して、またモスフード株を八一五〇円で買付けており、ここに何の合理的理由も見いだせない。そして八日にモスフード株を処分し、一二日にまたモスフード株を買付けている。このような「出し入れ取引」と言われる同一銘柄の無意味な反復売買をしている。七七〇〇円・八一五〇円等で買い付けたものを九月二一日・二五日に七四五〇円という低い水準で処分している。 ・ ナイガイ株  一〇月四日に一四万株・五日に一六万一千株・六日に一〇万四千株・九日に四万三千株・一一日に六万株・一二日に二万五千株・一八日に七万株・一一月八日に一九万七千株・九日に三万株・一〇日一〇万六千株と合計九三万六千株大量買付けした。以後一一月・一二月と株価が下がった時点で仕切っている。決済期間が相当先であるのだから、将来上がる時まで待てなかったのであろうか。損で確定させるつもりであったと疑われてもやむを得ない。この数量は、発行株式総数七〇九八万株、安定株主分を除いて市場に出ている四〇四五万株のうちの〇・二割もの占有率にあたり、相場操縦(証取法一五九条)や作為的相場形成(健全省令二条三号)の疑いがある。  平成二年四月一一日の買い建ても一二日の損切りで終わらせている。  なお、これも仕手株=いわゆる麻布銘柄であることにつき、原告準備書面(一四)一二・一三頁参照。 ・ ニチモ株  一二月七日に二三五〇円・八日に二三八〇円で買い付け、一三日に二四三〇円、一四日に二五三〇円と値上がりに合わせて買い進み、二二日・二五日に二二三〇円から二二一〇円になったところで処分している。これ以上は上がらないから損を覚悟で損切りしているはずなのに、一二月二七日に二二三〇円でまた買い建てしている。 ・ ツムラ株  平成二年一月一二日に三二七〇円から三三〇〇円で買い建て、一月一八日に三一六〇円から三一九〇円の段階で仕切っている。  将来上がる期待があったから買い付けたはずであるのにわずか六日後に慌てて決済している。信用取引の場合決済期間が相当先であるのだから、将来上がる時まで待てるはずであるのに、これ以上上がらないという根拠もない時に値が下がったところで仕切るのは故意に原告に損をさせる意思があることを推認させる。 ・ ケーヨー株  一月二三日から二月八日まで四七〇〇円から六二五〇円まで激しく値動きをした。一月二四日は四九七〇円で仕切り、同じ日に五一七〇円〜五二九〇円の水準で買い直している。一月二九日は五二四〇円で仕切り、同じ日に五五四〇〜五七四〇円の水準で買い直させている。株価上昇に合わせて買い増しをすると、買いコストが高くなり株価が下がった時のリスクが高くなる、すなわち危険性が高まる。 ・ 久光製薬株  二月一日に一六四〇円で買い付け、一四日に現引きさせ、その現物株を一五日に一五二〇円で売却しており、手数料分が取られかつ損が確定してしまう取引をしている。更にこの処分金でカブトデコム株という銘柄に乗り換えているのである。 ・ 藤沢薬品株  一月二六日に二二六〇円、一月二九日に二三〇〇円で信用取引を仕切った後、二月二日に二三五〇円で買付け、七日に二二六〇円で仕切って損で確定した。 ・ ダイダン株  二月七日に二五七〇円・二六二〇円・二六三〇円で買い建てをし二月八日に、二六二〇円・二六三〇円・二六四〇円・二六四〇円で処分しており、手数料を取られただけで全体としてほとんどが利益がなかった。 ・ 日本空港ビルディング株  二月八日に三六九〇円・三七〇〇円・三七四〇円・三七五〇円で買い付けておきながら、翌日に三六一〇円で処分している。上昇の相場観があったから買い付けたはずなのに、また現物株であるから、値上がりまでじっくり待てばいいのになぜ翌日値が下がった時に処分したか。A課長が明らかに原告に損をさせる、少なくともその利益を顧慮していない売買手法である。四月三日に買い四月一〇日に処分しているが、手数料を引くと利益が出ていない。 ・ 岡部株  二月九日に二二八〇円で買い付けておきながら、翌日に二二五〇円・二二六〇円・二二七〇円で処分している。上昇の相場観があったから買い付けたはずなのに、現物株であるから、値上がりまでじっくり待てばいいのになぜ翌日値が下がった時に売り急ぐのか。前・同様の不合理な売買手法である。 ・ 千代田化工株  二月二日に一八四〇円・一八五〇円・一九一〇円で買い建てをし一八八〇円と言う水準で同日仕切ったため損が発生した。  信用取引の買い注文は値上がりの相場観があって将来上がると思うから買い建て株をするのであって、損するために建て株をするはずがない。ところがAはその日のうちに明らかに損をさせる仕切りを行ったのである。そして、手数料だけは稼いだ。  その上で、三月二二日や二三日・二七日にはまた買い建てしている。 ・ その他の取引  右・〜・のような特徴を持つ売買取引がその後も次のように繰り返された。小刻みに損を出し、かつ手数料を稼いでいる。  吉富製薬・買三月二九日・ 1、870円、売四月 六日・ 1、800円  日本硝子・買四月一二日・ 1、420円、売四月一六日・ 1、390円  アルプス・買四月一六日・ 2、220円、売四月一七日・ 2、220円  古河電工・買四月二五日・ 810円、売四月二六日・  799円  小野薬品・買五月 一日・ 6、330円、 売五月八日・ 6、110円  長期信用・買五月一五日・21、500円、売五月二九日・20、800円  KDD ・買五月一六日・18、100円、売五月二九日・16、500円  日製産業・買五月二三日・ 2、310円、売五月二九日・ 2、250円  サンケン・買五月二四日・ 1、280円、売五月二九日・ 1、230円  ニチコン・買五月二四日・ 1、900円、売五月二九日・ 1、890円  荏原製作・買五月三一日・ 2、230円、売六月 六日・ 2、130円  東洋エン・買六月 一日・ 2、140円、売六月 五日・ 2、060円  サンスタ・買六月 六日・ 1、510円、売六月 八日・ 1、450円  島野工業・買六月 七日・ 4、200円、売六月一四日・ 4、100円  九電工 ・買六月二六日・ 2、040円、売六月二六日・ 2、020円 蝶理  ・買七月 二日・ 1、180円、売七月 六日・ 1、130円  日立工機・買七月 五日・ 2、400円、売七月 六日・ 2、380円  星電器 ・買八月 三日・ 2、870円、売九月二一日・ 1、840円  アルパイン買八月三〇日・ 2、280円売一二日二六日・ 1、480円 (不合理な特徴点は前・〜・取引と同様であるので、売買日とその価格を挙示するにとどめた) 三、被告本社も認める異常性(不合理性) ・ 被告会社では「顧客管理に関する規程」によって、顧客の取引について売買回数、売買損益、立替金の状況から異常の有無をチェックし、異常があった場合には必要な(是正)措置が講じられることとされている(甲B一三・同規程一五条。C八・四・一七調書二四・二五丁)。  そして、本件取引においては、平成元年八月分、同二年一月分、同四月分、同六月分と本件審理に供されてその存在が確認されているものだけでも計四回、被告会社本社監査部(あるいは営業考査部)から、「異常取引事項」の指摘が届いているのである(乙三四−一〜四。なお、甲B九書式も本社営業考査部から短期損金決済回数、損金決済割合等の大きい取引口座につき、その旨を指摘する書式である−被告六・九・一二付準備書面)。C支店長のいう「アテンション通知」である。 ・ C支店長によれば、「不健全取引」とは、「売買回転率」「短期損切り決済回数」「評価損率」の高い(多い)取引ということである。また、「売買回転率」とは一定の計算方式が設定されており、「短期損切り決済回数」では、一週間以内に損切りした件数が三件以上あれば、不健全取引の認定要素となるとのことであり、「評価損率」は「営業資産(当該顧客からの預り証券資産の意か)」に占める評価損の割合とのことである(C八・四・一七調書二四丁)。  そこで、乙三四−一・アテンション通知 平成元年八月分を見れば、「異常取引事項」として 信用取引短期損金決済回数 一一回 約定回数 六四回 割引債の短期損切売買  一回 が指摘されている。  以下、乙三四−二〜四各アテンション通知に記載された「異常取引事項」を指摘すれば次の通りである。   平成二年一月分 信用取引 売買金額(回転)  七回 (注 前出「売買回転率」の意か) 信用取引 短期損金決済回数 一四回 信用取引 損金決済割合 七〇回   平成二年四月分 信用取引 担保不足回数  四回 信用取引 売買回数(回転) 一四回 信用取引 短期損金決済回数 二九回 株式手数料の対株式営業資産率 一三% (注 原告からの預り証券資産額の一三%に該当する株式手数料を稼いだの意か)   平成二年六月分 信用取引 売買回数(回転) 一六回 約定回数 六〇回 信用取引 短期損金決済回数 三七回 株式手数料の対株式営業資産率  九% ・ 各事項が一義的に何を意味するのかという点ではやや判然としないところもあるが、その枝葉末節に拘泥しなければ、乙三四−一〜四・アテンション通知から被告会社の本社監査部(あるいは営業考査部)が、本件取引の期間中に少なくとも四回も繰り返し、売買回数が多すぎる、信用取引での売買回転率が高すぎる、その短期損金決済回数が多すぎる、手数料率が高すぎるなどとの「異常を認めて」、池田支店に警告信号を送っていたことが明白であると言える。言い換えれば、本件取引が異常であり不健全な取引であったことは被告会社本社も自認するところなのである。  なお、そのように再三再四本社からの警告を受けながら、A課長は何らその売買手法を改めようとはせず、それ以前同様の態度で本件取引を継続したのである。 第四、取引の過当性 一、はじめに  過当取引が違法となる第一の要件である「取引の過当性」とは、当該取引の数量・頻度が当該顧客の投資経験・知識や投資意向あるいは資金の量と性格に照らして過当であることである。従って、そこでは対象となる一連の証券取引の数量・頻度が大量頻回にのぼる場合に、それが当該顧客の投資経験・知識や投資意向あるいは資金の量と性格に適合しているか否かが検討され、適合しない程度の大量頻回である場合に、当該取引が過当であると認定されることとなる。  そこで、以下、まず本件取引においては、その数量・頻度が大量頻回であることを明らかにし、次いで、それが原告の投資経験・知識や投資意向あるいは資金の量と性格に適合しないものであることを論証する。 二、大量かつ頻回であること  この点については、既に原告準備書面(一四)九〜二六頁で具体的事実をもって指摘した通り、本件取引においては ・ 一四三銘柄(業種では二一業種以上)の株式を八種類の市場で売買した他、投資信託や債権さらにはワラント証券にまで及ぶ各種の証券の購入・売却を平成元年七月から同三年二月までのわずか一年八ヶ月=二〇ヶ月間に行っており、その対象銘柄・市場が極めて多種多様であること。 ・ その二〇ヶ月間に、売買金額にして総合計で三一三億八二一八万円余という一般投資者にとっては極めて大量の売買取引となっており、しかも売買回数にしてその二〇ヶ月間で七七六回、一年間に引き直しすると約五一七回、すなわち一ヶ月に約三九回、一週間にして約九回以上もの極めて頻繁な売買取引が行われていること。 ・ しかも、日計りが全件数の一二・六%、保有期間が一〇日未満の売買取引が全件数の六三・七%、同三〇日(≒一ヶ月)未満で集約すると全件数の八五・一%にものぼるという、極めて短期間しか保有していない売買取引が圧倒的多数であること。 ・ 投資々金が何回転したかという指標である資金回転率は年三三・六回にのぼる。  我が国証券取引法の母国国であり、過当取引(チャーニング)の違法性認定に関する制例法理が形成されている米国においては、この資金回転率が年六回を超せば、極めて有力な違法認定要素となる(甲A二・小島秀樹「日米における証券過当売買規制の相違」、甲A一・山下友信「証券会社の投資勧誘」、甲A一八−一・今川嘉文「証券の過当取引における民事救済の実現」、甲A一八−二・同「証券の過当取引に対する米国の法理と我が国への適用」)。これは、投資々金が総体として二ヶ月に一回以上回転させられるような売買取引は冷静かつ合理的な投資判断に基づくものではなく、却って不合理な頻繁売買であるとの理解によるものと考えられるが、そのような理解は何ら異和感なく我が国にも妥当するであろう。  この米国判例法理における年六回との指標に照らせば、年三三・六回もの回転率は異常な程の高率であって、その点からも本件取引では極めて頻繁な売買取引が行われたことが明らかである。 ・ 被告会社(池田支店)がこの一年八ヶ月・二〇ヶ月間で得た手数料等は一億六五七一万円であって、それ自体が極めて多額であるばかりか、差引損失のうちの七四%、原告投資額の五八%という高率でもある。原告の(差引)損失のうち、その四分の三が被告会社の手数料等の収入に転化している。手数料等が売買取引の数量及び回数に比例することに鑑みれば、このような高額・高率の手数料等は本件取引がいかに大量かつ頻回名ものであったかを如実に示すものと言える。 三、原告に適合しないこと  ここでは、本件取引が原告の投資経験・知識や投資意向あるいは資金の量と性格に適合しないことを論証するのであるが、そもそも本件取引は、特殊に(あるいは個別に)原告に適合しないという程度を遥かに超えて、およそ一般投資者の誰にとっても適合しない程の不合理な売買取引であったと言えるので、まずその点を指摘し、次いでましてや原告には、到底、適合し得ないものであったことを明らかにすることとしたい。 ・ およそ一般投資者には適合し得ないこと  この点については、やはり既に原告準備書面(一四)九〜二六頁及び本書第三章でで具体的事実をもって指摘した通り、本件取引においては、 1、頻繁に短期間での乗替え売買が行なわれていること  本来、証券投資は広く情報を収集し、冷静かつ自主的な判断に依って実行されるべきものであり、通常、一般投資者はそのようにしているものである。ところが、本件取引にあっては短期間での乗替え売買が頻繁に繰り返されている。日計りが全件数の一二・六%、保有期間一〇日未満が全件数の六三・七%にものぼっている。これは情報の広範な収集、冷静かつ自主的な投資判断とは甚だ異質な、いわば熱に浮されたかのような短慮商いであり、通常の一般投資者の売買方法とは到底理解し得ないものである。端的に言えば、証券会社に手数料を稼がしめるだけの売買方法である。 2、同一銘柄の「出し入れ取引」が多いこと  本書第三章で指摘した通り、他に別途の思惑があるか、もしくは何らの投資判断もない無定見な売買方法である。やはり、証券会社に手数料を稼がせしめるだけのものでしかない。 3、利乗せ建株拡大・手数料不抜け−大量推奨販売が見られること  その他、余裕資金を手許に保留するとの態度なく、利益が出ればそれを上乗せし、全資産・資金を投入して建株拡大のみを図ることは投資危険を著しく増す行為である(「利乗せ満玉」とも呼称される)。手数料不抜け売買の繰り返しは証券会社に手数料を稼がしめるだけのものである。ある特定の銘柄を大量に推奨して販売する(投資者に購入させる)ことは、そのこと自体が投資者の自主的判断を阻害するだけでなく、相場操縦や作為的相場を招来することともなるため、一般投資者には相応しくない。 4、「仕手株」が多数含まれており、しかも被告会社(和光証券)が或る仕手筋(麻布自動車、同建物=渡部喜太郎氏)と組んで、もしくは協調して関与していた銘柄さえあること。  「仕手株」は、仕手筋の介入による作為的な株価操作が証券取引の公正さを破壊するものであることに加え、非常に不安定で高度な危険性を具有するに至っている状態である株式である。証券会社たる被告会社(具体的にはA課長)が、一般投資者である原告に「仕手株」の購入を勧誘するなどということは、甚だ危険で不合理な投資勧誘であり(甲A一三−一・神崎克郎神戸大教授「自己責任原則と投資者保護のバランス」)、「そもそも大手証券会社として仕手株を勧めること自体の違法性が問われるべき」(判タ八七二号六頁)不合理な投資勧誘なのである。 5、高額・高率の手数料等がA課長の獲得収入の全て、池田支店の一五%をも占めていること。  本件取引においては、手数料等被告会社の収入が一億六五七一万円であり、それは原告の差引損失の七四%、投資金額の五八%にものぼっていることは既述の通りであるが、さらにそれはA課長が「担当した個人顧客分はもちろん」「担当分全体で見てもそのほとんど(限りなく一〇〇%に近い)が原告の取引による委託手数料」(六・九・一二付被告準備書面だったのである。しかも、平成元年末を最高値として株価が急落し、売買高も急減した平成二年度において被告会社池田支店は本件取引によって同支店収入の一五・二四%を、原告一人から稼ぎ出していたのである。  本件取引は全てA課長が原告を勧誘し、誘導して遂行したものであるが、そこに見られる以上のような投資判断・投資行動は既に指摘した大量かつ頻回なことと相伴って、甚だ冷静さを欠いた不合理な投資判断・投資行動と言わざるを得ず、およそいかなる一般投資者にも適合しない常軌を逸したものである。 ・ 到底、原告には適合しないこと 1、既に原告準備書面(一四)で指摘した通り、原告の本来的な投資経験と意向が取引の種類としては信用取引を好まず、現物取引に限定し、その銘柄も東証一部上場の優良企業に絞っていたこと、売買頻度についても投機的な売買でなく、主として(いわば)買い貯めて行くという方法を取っていたこと、また一つの業種に絞らず、多数の業種に投資して危険を分散していたこと、すなわち、その投資経験・意向が堅実なものであったことは明らかである。また、その点は被告会社も認めるところである(答弁書第二、二、1)。  原告は三〇年間にわたる証券投資の結果、三四銘柄、時価にして約九千万円相当の株式を保有するに至っていた。 2、その後、本件取引において大量かつ頻回の売買取引を行ったのであるが、これは原告自身の自発的あるいは自主的な投資判断(さらにはそれに基づく個別具体的な売買注文)によるものではない。担当者であったA課長も、本件取引における銘柄・単価・数量・売買の別は全て同課長が選定していた、原告がそれを断わったことは一度もなかったと認める通り(A六・一一・一一調書二七・二八丁、同七・三・一七調書一八〜二一丁、同七・六・一六調書二三・二四丁)、実質的な投資判断は全て同課長によるものだったのである。中には、原告への事前連絡・承諾すら無い売買取引もあったのである(C八・二・一四調書一二丁)。なお、A課長も「なかには私の判断で買付けたものもあります」「X氏と連絡のとれないときに事前の承諾を得ることなく売付けた場合があります」と認めるところである(乙一四・陳述書八頁)。 3、この点、被告会社は本件取引が「確かにその回数と金額に照らして非常に多いものであるが」と認めつつも、「原告はD子の株式取引により約金一億円を手にしたことからこの資産を積極的な株式投資により運用して、更に資産の増大を図りたいと考えるようになった」、その運用方法をA課長と相談した結果、平成元年七月二六日頃までに「一部は証券投資信託に投資して安定した収益を目指し、かつ危険の分散を図るとともに、他方で信用取引を用いて積極的な株式取引を行って大きな利益を狙う」という「基本方針」を立てたのであると主張する(平成五年一二月二一日付被告準備書面七頁他)。  すなわち、原告は自己本来の資産約一億円に加えて、亡妻D子の証券資産約一億円を手にしたこと(計約二億円)を契機として、この際更に同証券資産の増大を図るべく、本件取引の開始に先立ち、特に「信用取引を用いた積極的な株式取引を行って大きな利益を狙う」との「基本方針」を立てたというのである。 ・ しかし、果たして原告において従来の投資経験と意向を一挙に転換し、このような「基本方針」を打ち立てたということがあったであろうか。  そのような事実はない。  まずこのような「基本方針」が立てられたことを直截に示す証拠は何もない。  却って、原告が本件取引の主要部分を占める信用取引を行うに至ったのは、第二章本件事案の概要で指摘した通り、平成元年七月頃、B支店長とA課長から「小遣い銭稼ぎに信用取引をしてみませんか」と誘われたことからなのである。原告は約二億円の証券資産はいずれ近いうちに少数の安定優良銘柄に絞って運用しようと考えていたのであり、しかも原告には他に銀行預金、不動産等の資産もあって、それらを合わせれば老後生活を送るのに不足はなかったのである。何も、特に積極的に、同証券資産の増大を図ることも「大きな利益を狙う」ことも必要なかったのである。  従って、被告会社が、原告においてこのような「基本方針」を立てたと主張するのは、何ら確たる証拠に基づいてのことではなく、単なる推測、否、推測にまで至らない憶測によるものにすぎない。  原告がA課長との会話の中で触れた片言隻句を針小棒大にふくらませて描き出した憶測にすぎないか、逆に同課長の方から持ち出して原告を説得した結果の方針、言い換えればA課長の方針にすぎないのである。それをあたかも原告自身の方針であるかのように転倒させて描き出しているものである。 ・ その憶測・転倒の背景にある事実に関して、A課長は「スタートを二億としまして、ステップは三億、次のステップは四億ということで常に四億ということを言われておられました」、しかも「今、持っておられるトヨタ、松下の銘柄は過去の銘柄だ。思い切って銘柄をすべて入れ替えて一からスタートしたいということを言われておられました」と証言する(A六・一一・一一調書六丁)。  しかし、まず後者の「思い切って銘柄をすべて入れ替える」との点については、原告が妻をなくし、かつ高齢にもなって来たこともあって、当時保有中の三四銘柄という多数の銘柄では管理不行届きになる恐れがあることから、いずれ近いうちに少数の安定優良銘柄に絞ろうと語っていたことを、そのように歪めて表現しているのである。前者の「二億から三億、三億から四億」との点についても、原告は「それは全然ないです」と否定するところである(原告七・九・八調書二三・二四丁)。たとえそのようなことを原告が語ったとしても、A証言ではいかなる具体的方針・協議の機会に語られたことであるのが全く判然としない。さらに、その内容自体、証券投資における「方針」でもなければ「意向」と言うこともできない。いわば、たんなる「夢」や「願望」の類の事柄にすぎない。自己の証券資産を(期間も明示しないまま)倍増させたいという、いわば人間なら誰しも持つような「夢」「願望」にすぎないのであって、それをもって証券投資における具体的な「投資方針」「投資意向」自体であるとか、それを基礎づける重要なものとは到底認め得ないことは明らかである。  しかも、そのことはA課長が証券投資を勧誘するにあたって、それが顧客の投資意向に適合していなければならないこと(「適合性の原則」)を熟知している証券外務員である以上、容易に理解し得たはずのことである。にもかかわらず、原告が何らかの会話機会に「二億を四億へ」と語っていたことを殊更に取上げて、それが原告の証券投資における「投資方針」あるいは「投資意向」であるかのように証言し、そのように印象付けを図ろうとすること自体、強く批判されなければならない。 ・ なお、C支店長も原告が「約三億ある資産を四億にしたい」旨語っていたと証言する(C八・二・一四調書五丁)。この証言に対する批判は前同様であるが、特に原告が同支店長にその旨語ったという時期は、「こがね」での会食の時期、すなわち平成二年五月二八日であって(乙二八−一)、その時期には前年=平成元年一二月末に天井をつけた株価が同二年当初より下落し(いわゆるバブルの崩壊)、株式市況において悲観的な見通しが強く、到底楽観視され得ない状況にあったのである。しかも、そのことは同支店長及びA課長において十分理解していたところであるから(乙一五・チャート)なおさらのこと、たとえ原告がその旨語ったとしても、それが原告の「夢」「願望」にすぎないこと、その時期及びそれ以降の「投資方針」や「投資意向」あるいはそれを基礎づける重要なものではあり得ないことは容易に理解し得たはずである。その旨を原告の「投資方針」「投資意向」などと受取ることはあり得ないのである。 ・ そもそも、株式投資は確実な利益を保証することができないものであり、特に倍増するというような依頼を受けることは証券会社にとっては不可能な事項である。  もし、右のような願望を、被告会社がまともに受けて、原告の株式を推奨していったのであれば、そもそも不可能なことを可能のようにして顧客から依頼を受注し、推奨を行なったのであるから、それはまさに、「詐術」に用いて勧誘したことに他ならない。 4、結局、原告は被告会社が主張する「信用取引を用いて積極的な株式取引を行なって大きな利益を狙う」という「基本方針」、あるいはそのような「投資意向」のないまま、A課長がB支店長とともに「小遣い銭稼ぎに信用取引をしてみませんか」と誘いかけたことを切っ掛けに同課長のリードで信用取引を行なうことに応じたにすぎない。ところが、それを契機に同課長が、原告の被告会社と同課長への信頼とを逆手にとって、既述の通り大量・頻回の売買取引へと誘導したのが本件取引だったのである。 5、その間、具体的な投資判断が全てA課長によって行なわれ、原告が同課長(と被告会社)を信頼していわば盲目的にそれに従っていたとしても、同課長が原告の名義と計算において一連の売買取引を行なっていること自体は当然原告も了知しているところであるから、その一連の売買取引によって原告に利益が持たらされることは原告も認識し、さらには意欲していたであろう。さらにはより多くの利益を上げ得れば望ましいと思っていたこともまた、そのことを殊更に披瀝・要求しなかったとしても、あり得ないことではないだろう。すなわち、原告は必ずしも「消極的な投資意向」に終始していたのではなく、一定程度「積極的な投資意向」をも有していたと言えるのかも知れない。しかし、仮に、原告にこのような「積極的な投資意向」があったとしても、本件取引はその大量・頻回であること、あるいは不合理な取引方法が採られていること等において、余りにも度を超しているのであって、その「積極的投資意向」に照らしてさえ甚だ不適合なものだったのである。  すなわち、仮に、原告に一定程度の積極的な投資意向が生じていたとしても、そしてそれゆえ堅実一本、いわば消極的な売買方法に限定されることなく相当の危険をも覚悟しつつ積極的な売買方法を取ることが容認されるとしても、A課長は誠実公正義務、適合性原則を遵守して本件取引を遂行しなければならない立場にあったのであるから、専ら自己の手数料等収入の獲得を目指しての売買取引を行なってはならないことは勿論、不合理な売買取引や大量で頻回にわたる結果として手数料等の経費負担ばかりが嵩み、原告の不利益になるような売買取引を行なってはならないことは明らかである。  ところが、本件取引では既に繰り返し指摘した通り、異常と評しうる程の大量かつ頻回の売買が実行され(被告会社本社監査部も本件取引が「異常」であるとして警告を発している程である)、その中ではやはり本書第三章に指摘した通りの極めて不合理で顧客たる原告の利益を考慮したとは考え難い売買取引が多数含まれているのであって、しかも被告会社が得た手数料収入等が損失額の四分の三にまでのぼっている。  ことほど左様な本件取引であってみれば、仮に原告に一定程度の積極的な投資意向があったとしても、それにすら適合しない売買取引であったと言わねばならない。否、そのように表現することがもどかしいぐらいであり、端的に、A課長が原告の一定程度の積極的な投資意向に乗じて、自己(及び被告会社)の手数料等収入の最大獲得を目標として行なったと指摘することの方が当を得ていると言うべきであろう。 6、なお、C支店長は「短期売買しなさいとおっしゃっていました」(C八・二・一四調書六丁)と原告が短期売買を自ら望んでいたかのように描き出している。  しかし、原告自身が行なっていた過去の取引を見れば、原告に短期売買の意向はないことは明らかである(原告八・一〇・九調書七丁裏)。  さらに、原告は先取得点をとれ、もしくは先取得点を取られるなと述べたまでであり、右はあくまでも酒の席での一般論であり(前同調書八丁)、どうとっても短期売買を奨励する発言とは受け取れない。  また、同支店長の証言でも「益は確実に中に入れる、損は早く売ってしまう」と原告が述べたということであるが、右は不幸にも損がでた場合、損が小さいうちに引き揚げるとの意味にすぎず、どう考えても損が出ても損が出ても次々と株式の購入または買建を続け、さらに損を発生させる取引である短期損切り売買を次々と繰り返すことを容認する発言ではない。そもそも、右のような取引を容認するような人間は存在しない。  そして、C支店長の証言によっても、原告は「ああ、これはよくないと思ったらすぐに売りなさい。そしてまた次の新しい銘柄を探したらいい」と述べているのである(C八・二・一四調書六丁表)。しかるに、本件取引においてA課長は同じ銘柄につき、損が出ても、また再度買直しをしている、出入れ取引を繰り返しているのである。既に本書第三章で指摘したように三洋化成、ナイガイなどはその例である。このような売買方法は、C支店長が、原告が述べたという右の言葉にも反している。 四、まとめ  以上の次第で、本件取引の数量・頻度が異常とも評しうる程大量・頻回であること、それが量的にも質的にも原告の投資経験・知識や投資意向あるいは資金の量と性格に適合しないものであり、本件取引が「過当性」ある取引であったことは明らかである。 第五、コントロール(口座支配、実質的一任売買)性 一、はじめに  過当取引が違法となる第二の要件である「コントロール性」(あるいは「口座支配性」)もしくは「実質的一任売買」とは、実質において、顧客ではなく証券会社が一連性ある当該取引を主導していたことである。  そこで、以下、当事者の証言、客観的取引内容からの検討、原告の関与態様の順で被告会社(A課長)が本件取引を主導していたことを明らかにする。 二、当事者の証言  本件取引においては、A課長自身が売買する銘柄・単価・数量は全て同課長が選定し原告を誘導していた、原告がそれを断わったことは一度もなかった、実質的投資判断は同課長が行っていたと認めるところであり(A六・一一・一一調書二七・二八丁、同七・三・一七調書一八〜二一丁、同七・六・一六調書二三・二四丁)、新種で危険性の高い特殊な証券である(外貨建)ワラント証券さえ、何ら原告に説明することなく、同課長が売買していたのである(A七・六・一六調書三四〜三六丁)。  原告も、本件取引は投資判断、金銭手配を含め全てA課長に任せていた証言するところである(甲B一〇−一・陳述録取書九・一〇頁、原告七・九・八調書八丁、同二二・二三丁)。  従って、原告とA課長(ちなみに、同課長の地位につき、証取法六四条参照)との間に、明示的にはともかく、黙示的に本件取引における投資判断などの諸行為を全面的に委任(証取法上の用語では一任)したという関係、要言すると「一任契約」が存在したと言える。「一任契約」が存在するとの法的評価までは与え得ずとも、少なくとも先物取引に関する既掲最高裁判決が表現するように「実質的一任売買」に該当することは明らかである。 三、客観的取引内容からの検討 ・ 原告は、本件取引以前においては、既に述べたように三〇年間にわたって著名な優良企業の株式を一千株ずつ購入し、合計三千銘柄の株式を買い貯めて来たという手堅い投資経験と投資意向を持つ者であった。  信用取引の経験は皆無であった。  長い投資経験の中で、信用取引という種類の特殊取引があり、それが現物取引に比して危険性が高いものであるという程度の知識は保有していたようであるが、その経験はなく、従って知識といっても机上もしくは耳学間の程度のものにすぎず、体得された知識ではなかったのである。  そのような原告が、本件取引の大半を占める大量かつ頻回な信用取引、しかも既に原告準備書面(一四)及び本書第三章で指摘した特徴を持つ取引を、自発的にはもとより自主的な投資判断によって実行することは到底不可能である。だからこそ  「信用取引をしたことありませんので、だからどういうふうに進めていくのか、これは私分りませんので、相手任せでした」(原告七・一二・二二調書八丁)  「どういうふうにその金を運用するか分りません。また、そんな差し出がましいことは私はよう言いません」(原告七・九・八調書二〇丁)  「(問)そのときに信用取引の枠が空いてなかったら買えませんね。(答)そうでしょうね、それは私わかりません。あの人が取引所とやってはることは私分りません」  「枠を空けるとか、そんな難しいことそんな細かいこと、私ら素人が分るはずありません」(原告七・一〇・一三調書七〇丁) といった態様で、A課長に全面的に任せていたのであった。 ・ 本件取引は大量かつ頻回であるにとどまらず、既に原告最終準備書面(一四)や本書第三章で指摘した通り、また被告本社から再三再四警告を受ける程、多種類の市場・銘柄、短期乗換え、仕手株指向、薄商い銘柄の大量売買などという際立った特徴を具有するものである。このような客観的取引内容(あるいは特徴)に照らせば、到底、一般投資者の取引手法によるものではなく、プロの相場師かベテランの証券外務員の取引手法によるものであることは明らかである。A課長のようなベテラン、証券外務員が、顧客に対して助言的に関与するのではなく、自ら主体的かつ積極的に遂行することによって始めて可能な取引なのである。 四、原告の関与態様 ・ このように、本件取引が原告が未経験の信用取引を主とし、しかもその投資知識・経験では実行し難い程の大量かつ頻回な投資判断、金銭手配から成っているという客観的事実と原告、A課長の両当事者がその旨証言していることから、優にA課長が本件取引を主導していたと認め得ることは明らかである。  しかし、被告は「全て原告の真摯な意思に基づいて、その正確な損益の認識のもとに、自ら積極的に行ったものである」とする(被告五・一二・二一付準備書面一六頁)。  これは結局、原告が本件取引の過程において売買取引の具体的内容と正確な損益を認識し、かつこれを認容していたとし、そうである以上、本件取引はA課長が主導していたもの、あるいは実質的一任売買であったとは言えないとするもののようである。確かに、一般的には、A課長が誘導したとしても、常に事前に具体的売買内容が原告に伝達され、原告がその内容を吟味=取捨選択の上で(すなわち自主的判断によって)応諾する態様で具体的売買取引が遂行され、しかもその集積である損益及び保証金等の金銭手配の状況をも具体的に把握・認識した上でこれを認容して取引を継続していたのであれば、それはA課長の主導性(あるいは実質的な一任売買)を否定する一つの要素たり得ようかと思われる。  そこで、被告はそれを基礎づける事実として@売買報告書を郵送していた。原告はこれを整理保存していた。A取引明細を一覧化した表に原告の確認印を得ていた(乙一三−一〜六)。その際にはその内容を説明した。BC支店長が数度に渡って原告が具体的建玉内容を認識していることを確認した などの事実を挙げるので、以下、これらの諸事実の存否、評価等について反論する。 1、売買報告書の送付と保存  本書第二章・本件事件の概要で述べたように、売買報告書は送付されてきていたが、原告はただ子供のようにきれいに延ばして机の上に重ねるのみであった。  すなわち、原告が以前自分で行なっていた現物取引と異なり、本件取引においては、原告準備書面(一四)第二章・本件事実関係で指摘した通り、平均でも週九回(土・日・祝日を含む)の取引が行なわれており、原告の取引は一四三銘柄・八種類の市場を通じて売買し、その売買回数は計七六六回(年平均五一七・三回、月平均三八・八回、週平均八・六回)であり、取引総額は約金三一三億円にも上った。  従って、余りに売買回数や金額等が多すぎて、売買報告書も何枚にもわたるような状況で、また同じ銘柄についても頻繁に売り買いを重ねているので、どの買いがどの売りに結び付いているか分らなかった。売買報告書の内容をノートに転記し、買と売りを連絡させて一覧表化する等の作業を行なっていなかったこともあって、原告の能力では売買報告書から本件取引の実態あるいは全容を読み取ることは到底不可能だったのである(原告七・九・八調書一〇・一一丁)。 2、乙一三−一〜六への署名捺印  確かに原告は乙一三−一六(以下、便宜、取引明細書という)に署名捺印したが、これは原告が被告会社に赴いた際に署名捺印を求められた様々な書類の中の一つとして、深く考えずに署名捺印したものにすぎず、その内容を熟読・理解した上で署名捺印したものではない。 ・ A課長はこの取引明細書を説明した時間は各一〇分から二〇分程度であったと証言する(A八・一〇・九調書三丁表、七丁表、九丁表、一〇丁表、C八・四・一七調書四一丁裏)。  しかし、例えば乙一三−一〜六の取引明細書は長いものでなんと約一五六センチメートル、三一一行にも及び、平均では約一一五センチメートルである。そのような取引明細書の内容を一〇分〜二〇分で原告にわかり易く説明できるはずがない。 ・ さらに、原告の以前の投資知識・経験に照らして、短時間の説明だけでこの一一五センチメートルにも及ぶ書類の内容を理解する能力はなかった。原告自身、乙一三−一〜六取引明細書を見せられた際「たくさんあるとは分っていましたけれども、具体的には分りません」、そして「その時に実損がなんぼということをもっと説明があって、そしてもっと具体的に話があったら、おそらく(本件取引を)やめておったか分かりません。しかし、そういう話がいつ会っても『若干、損でございます』と」証言するところである(原告七・一二・二調書一四丁)。原告は本件取引が沢山あるということはわかっても、これら取引明細書を読解することを通して本件取引の実態あるいは全容を把握・理解することなどできなかったのである。  原告の日記を見ても、取引明細書に関する説明が行なわれたとの記載はない。ただ平成二年二月二八日に「和光A受渡し」「和光今日現在で二億六千万円」との記載が見られるだけである(甲B二〇・一覧表同日付欄)。従って、乙一三−二の作成日付が右同日であることから、同取引明細書に関連して何らかの説明が行なわれたことが窺えないではないが、その時期、すなわち乙一三−二に署名捺印した時期は、幸か不幸か、たまたま損益累計がプラスとなった時期でもあったため−月別損益一覧参照−、やはり原告が本件取引の実態あるいは全容に関する正確な認識を持つに至らなかった。 ・ しかも、既に指摘したように(本書第二章・本社からの警告)取引明細書の日付等については不自然な点が多い(なお、A八・一〇・九調書一〜一四丁参照)。本社監査部の警告通知を受け、真摯に取引明細書の内容書をわかり易く説明したうえで、原告の理解と納得を求めたとは考えられない。むしろ、その日付の不自然さ等から、店頭に現れた原告に対して、その信頼に乗じておざなりの説明で署名捺印を求めたとしか考えられない。 ・ なお、米国証券判例でも、「売買報告書」や「月次計算書」が送付されているという事実が、「口座支配性」を否定する要素であるか否かが問題とされるようである。  しかし、東大山下正信教授も招介されるように「そのような理由によるブローカー・ディーラーの抗弁は認められていない」「(被害者が)取引の量および頻度が過大であったと判断するに足りる能力までは有していなかったとして」証券会社の抗弁は退けられるのである(甲A一・証券会社の投資勧誘三二四・三二五頁)。また、甲A一八−二も「顧客が月次計算書等を異義なく受領していたとしても取引の量や過度性について判断できない場合には、ブローカーによる口座支配が認定されています」とされるところである(今川嘉文・同書二〇頁)。 3、C支店長の確認  C支店長は平成二年八月の末と九月一八日に同支店長から原告方に架電して、原告に保有建株の銘柄・株数・買付価格を質問し、正確な具体的回答を得たと証言する(C八・二・一四調書一五丁)。  しかし、同支店長が照会した取引内容とは、同支店長が武田裁判長の質問に答えた通り、例えば九月一八日までの既往・累積内容ではなく、同日時点のみのものであり(前同調書一六丁)、しかもその時刻・時間は「確かもう夕方だったと思いますが、その時間は短かったです。一〇分か一五分ぐらい」であった(前同調書一七丁)。  従って、ある特定日時点の信用建株だけであってみれば、本件取引当時は毎日留守番電話に成約報告が入電されていて、原告がそれを日記帳に転記していたことも少なくなかったのであるから、原告がその範囲内でC支店長の質問に答え得たとしても何ら不思議ではない。特に九月一八日に関しては、被告会社では毎年三月と九月の半ば≒一五日に乙一九と同様式の「残高照合通知書」を顧客宛に送付していたのであって(乙一九、C八・四・一七調書二二・二三丁)、その際にも原告の手元に平成二年九月一五日付残高照合通知書が配達されており(乙八−三・回答書。原告日記平成二年九月一八日欄、甲B二〇・一覧表参照)、原告がそれを見やりつつ、C支店長に回答した可能性もあったのである(前同調書二三・二四丁)。そうだとすれば、なおさらのこと、その時点における信用建株等を原告が回答し得たとしても何らおかしくはない。  このように、C支店長が八月末、九月一八日に確認したという内容は、その特定日時点の信用建株等だけであるから、たとえその通りだとしても、そのことをもって原告がその特定日時点以前の既往取引の内容と結果、すなわちその売買内容面と金銭損益面の累積状況を正確に認識・把握していたことには到底結び付き得ない。 ・ さらに、原告が当時つけていた日記帳を見てみても、本件取引についての記載が、本件取引の数に比して極めて少ない(甲B二〇・一覧表)。却って、原告が本件取引により相当多額の損害が発生したことを初めて認識した時期が平成二年一〇月上旬頃であったことが日記帳の記載(乙二八−三)から認められるのである。  原告は、本件取引の途中、何度かにわたって本件取引の実態あるいは全容を把握しようとしてA課長に質問するのであるが、いつも「若干、損でございます」という答えが返って来ただけであった(原告七・九・八調書一一・一二丁、同七・一二・二二調書一四丁)。  そして、被告会社とA課長を信頼していたことから、それ以上追求することなくそのまま信用していたのであって、平成二年一〇月上旬に相当多額の損失が生じていると知らされるまで、原告は累積損益について「若干の損」程度の認識(正しくは誤解・誤認)しかなかったのである。 ・ このように、本件取引において、原告がその個別具体的売買取引を事前にA課長から伝達され、自らその内容を吟味=取捨選択の上で応諾するという態様で遂行したことが無いことはもとより、売買報告書送付や取引明細書への署名捺印等によっても、原告が個別具体的な売買取引、及びその損益等が連結・累積したものである本件取引の実態あるいは全容を、具体的に把握・認識してはおらず、却って「若干の損」という状態で推移していると理解(正しくは誤解)し続けていたのである。   このような原告の関与態様と認識程度であってみれば、それが本件取引におけるA課長の主導性を否定する要素たり得ないことは明らかと言わねばならない。  逆に、原告がそのような関与態様と認識程度であったこと自体、A課長を信頼し、同課長に全面的に任せた(一任した)結果であって、同課長の主導性を裏付ける事実とさえ言い得るのである。     五、まとめ  以上の次第で、原告とA課長の証言、本件取引の客観的内容、原告の関与態様・認識程度に照らして、同課長が本件取引を主導していたことは明らかであり、被告会社が売買報告書を送付していたことや乙一三−一〜六取引明細書に原告が署名捺印している事実は、到底これを覆すに足りない。  本件取引が「コントロール(口座支配)性」ある取引(あるいは実質的一任売買)であったことは明らかである。 第六、おわりに  以上、原告準備書面(一四)及び本書面における論証によって、本件取引における被告会社(具体的実行者はA課長)の行為が過当取引として、また、そのうちワラント取引においては説明義務違反等により違法なものであったことは既に明らかである(以下、本件違法行為という)。  本件違法行為は、民法第四一五条債務不履行もしくは同七〇九条(同七一五条を含む)不法行為に該当するものであって、被告会社は原告が蒙った損害金二億四五八九万八九六一円を賠償しなければならない(請求の趣旨変更申立書参照)。 以上